オリビア・ニュートン=ジョンが死去 [芸能・音楽・スポーツの話題]
まずは、新聞記事でおさらい。
オリビア・ニュートン・ジョンさん 73歳で死去
グラミー賞4度 30年乳がんと闘病
オリビア・ニュートン・ジョンさん 73歳で死去
グラミー賞4度 30年乳がんと闘病
[ スポニチ Sponichi Annex 2022年8月10日 05:30 ]
主演したミュージカル映画「グリース」や、ヒット曲「そよ風の誘惑」「フィジカル」などで知られる英国生まれの豪ポップス歌手オリビア・ニュートン・ジョンさんが8日朝、米南カリフォルニア州の自宅で死去した。
73歳。家族が発表した。
死因は明らかにされていないが、30年にわたって乳がんと闘病していた。
73歳。家族が発表した。
死因は明らかにされていないが、30年にわたって乳がんと闘病していた。
悲報は2008年に結婚した夫で実業家のジョン・イースターリングさんが、オリビアさんのインスタグラムで公表。
家族と友人に囲まれて、安らかに息を引き取ったことを明かした。
夫は「オリビアは乳がんと30年以上も共存した勝利と希望のシンボルでした」とその人生を称えた。
家族と友人に囲まれて、安らかに息を引き取ったことを明かした。
夫は「オリビアは乳がんと30年以上も共存した勝利と希望のシンボルでした」とその人生を称えた。
オリビアさんは92年、43歳の時に右胸に乳がんが見つかった。摘出手術を受け、長い闘病生活の末に克服。
13年に再発して寛解するも、17年に3度目のがん宣告を受けた。
乳がんが脊椎に転移し、ステージ4と公表。
それでも「どんな困難に直面してもプラスの面を考える」と、前向きに闘病していた。
13年に再発して寛解するも、17年に3度目のがん宣告を受けた。
乳がんが脊椎に転移し、ステージ4と公表。
それでも「どんな困難に直面してもプラスの面を考える」と、前向きに闘病していた。
オリビアさんは1948年、英国生まれ。
5歳の時に家族でオーストラリアに移住し、14歳の時からバーなどで歌い始めた。
英国に戻った66年に歌手デビュー。
「イフ・ノット・フォー・ユー」で注目を集め、74年の「愛の告白」が大ヒット。
75年に米国移住後は「そよ風の誘惑」で人気を不動のものにした。
米音楽界最高の栄誉であるグラミー賞を4度受賞した。
5歳の時に家族でオーストラリアに移住し、14歳の時からバーなどで歌い始めた。
英国に戻った66年に歌手デビュー。
「イフ・ノット・フォー・ユー」で注目を集め、74年の「愛の告白」が大ヒット。
75年に米国移住後は「そよ風の誘惑」で人気を不動のものにした。
米音楽界最高の栄誉であるグラミー賞を4度受賞した。
81~82年にはディスコチューンの「フィジカル」が、米ビルボードチャートで10週連続首位を獲得する快挙。
ミュージックビデオ黎明期で、マッチョな男に囲まれて、レオタード姿でエアロビクスを踊るオリビアさんはインパクト抜群だった。
ミュージックビデオ黎明期で、マッチョな男に囲まれて、レオタード姿でエアロビクスを踊るオリビアさんはインパクト抜群だった。
78年公開の「グリース」ではジョン・トラボルタ(68)と共演。
ビーチで出会った高校生のダニーとサンディの淡い恋を描いた学園ミュージカル。
ゴールデングローブ賞の主演女優賞の候補となり、女優としての地位も確立した。
ビーチで出会った高校生のダニーとサンディの淡い恋を描いた学園ミュージカル。
ゴールデングローブ賞の主演女優賞の候補となり、女優としての地位も確立した。
訪日も10回以上しており、
東日本大震災4年後の15年に福島市で開いたコンサートを忘れられない思い出に挙げていた。
昨秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
東日本大震災4年後の15年に福島市で開いたコンサートを忘れられない思い出に挙げていた。
昨秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
がん撲滅に向けた活動も精力的に行った。
闘病の傍ら、乳がん早期発見の啓発活動に力を注ぎ、痛みの緩和に用いる医療用大麻の合法化も訴えた。
13年に豪メルボルンに「オリビア・ニュートン・ジョンがんセンター」を設立した。
闘病の傍ら、乳がん早期発見の啓発活動に力を注ぎ、痛みの緩和に用いる医療用大麻の合法化も訴えた。
13年に豪メルボルンに「オリビア・ニュートン・ジョンがんセンター」を設立した。
オリビア・ニュートン・ジョン
1948年9月26日生まれ、英国出身、オーストラリア育ち。
70~80年代に「愛の告白」「そよ風の誘惑」「マジック」「ザナドゥ」「フィジカル」などヒット曲を連発。
日本では「カントリー・ロード」も人気だった。
アルバムの総売り上げ枚数は世界で1億枚以上。2000年のシドニー五輪開会式で歌唱。
私生活では、84年にポーランド人のダンサー、マット・ラタンジ氏と結婚したが95年に離婚。
母方の祖父はノーベル物理学賞受賞者のマックス・ボルン氏。
1948年9月26日生まれ、英国出身、オーストラリア育ち。
70~80年代に「愛の告白」「そよ風の誘惑」「マジック」「ザナドゥ」「フィジカル」などヒット曲を連発。
日本では「カントリー・ロード」も人気だった。
アルバムの総売り上げ枚数は世界で1億枚以上。2000年のシドニー五輪開会式で歌唱。
私生活では、84年にポーランド人のダンサー、マット・ラタンジ氏と結婚したが95年に離婚。
母方の祖父はノーベル物理学賞受賞者のマックス・ボルン氏。
私は結構、好きだったよ。
そうそう、杏里の「オリビアを聴きながら」に出てくる
「Making a good things better」は
彼女のアルバムのタイトル曲。
そうそう、そのアルバムも買ったよー。
ニュースになった時、職場で
「えー、オリビア・ニュートン=ジョンが亡くなった」
って言ったけど、
他の職員からは
「ファンだったんですかぁー?」
と言われただけ。
(え? みんなオリビアを知らないの?!)
って、そっちの方がショックだった・・・★
でも、そうですよね、
「フィジカル」の大ヒットが1982年ですか・・・
40年前!
でも、2019年のラグビーW杯の時
「ビクトリーロード」という歌をみんなが歌っていたけど
あれ、彼女も歌った「カントリーロード」の替え歌だよ。
【ジョリーン】
たぶん最初に聞いたオリビアの曲
歌詞がエグい・・・
(友達に「ジョリーン、お願いよ、私の彼をとらないで」と懇願している)
【そよ風の誘惑】
いまだにあちこちの電話の保留音に使われているメロディ。
【フィジカル】
上の曲と落差がありすぎWWW
あとは・・・
「カントリー・ロード」「マジック」「ザナドゥ」・・・
いろいろあったなあ。
合掌。
たぶん最初に聞いたオリビアの曲
歌詞がエグい・・・
(友達に「ジョリーン、お願いよ、私の彼をとらないで」と懇願している)
【そよ風の誘惑】
いまだにあちこちの電話の保留音に使われているメロディ。
【フィジカル】
上の曲と落差がありすぎWWW
あとは・・・
「カントリー・ロード」「マジック」「ザナドゥ」・・・
いろいろあったなあ。
合掌。
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